メッシ所属クラブ

2019-2020シーズンは、右足ヒラメ筋の負傷により開幕から欠場し、6年ぶりとなる6試合ノーゴールを経験する。2020年1月にエルネスト・バルベルデ監督が解任となるが、バルベルデを支持していたメッシは公にチームの決定に反発。さらに、この解任劇について選手が追い出した旨の発言をしたエリック・アビダルSDをSNSで批判。チーム上層部との間に亀裂が走ったと報じられ、2021年までとなっていた契約の延長交渉をストップさせたことでバルセロナからの退団が噂される。不協和音が響いてチームはリーガ連覇を逃すが、自身は25ゴールで7度目となるビチーチを4年連続で受賞し、2008-09シーズンにシャビが作り出した1シーズン最多アシスト数を更新する21アシストを記録。一方、CLでは、ラウンド16 2nd legのナポリ戦で5人に囲まれながらのゴールを決め勝利に貢献するが、準々決勝ではバイエルンを相手に8失点を許しての歴史的な大敗を喫する。試合中、崩壊するチームを呆然と見ていた姿がキャプテンとしてあるまじき姿であるとして批判を受ける。

2010-11シーズン、ジョゼ・モウリーニョを招聘し序盤から好調のレアルをホームに迎えたエル・クラシコ第1戦ではダビド・ビジャの2ゴールをアシストするなど結果は5-0での圧勝。MVP(メッシ、ビジャ、ペドロ)と称された3トップが機能し、リーガ3連覇と2シーズンぶりのCL優勝に貢献。このシーズンのバルセロナは世界を震撼させるほどの圧倒的な異次元の強さを見せ、パスワークによるポゼッションを重視したバルサスタイルを世界中のチームが憧れるようになる。リーガの得点王の座ことクリスティアーノ・ロナウドに譲ったものの、2シーズン連続でゴール数は30ゴールを超え、CLでは大会史上最多タイとなる12ゴールで得点王となる。異次元のプレイヤーとして進化したメッシを世界中が称賛し、3シーズン連続でのバロンドールにも選ばれている。

メッシのシューズがピッチに触れた瞬間に、マイアミがチームとしてひと皮むけたと断言できるかは難しい。注目に値することと言えば、チームがどれだけ落ち着いてプレイできていたかということだ。メッシはゴールを狙い続けたが、ピッチでのほとんどの時間はチームメイトのためにゲームを組み立てることに費やしていた。

サッカープレイヤーとしては小柄でストライドは短いというが、爆発的な加速力と繊細なボールタッチを武器に敵陣を切り裂く世界最高峰のドリブラー。トップスピードに乗った状態でのドリブルでもボールが足元から殆ど離れず、相手DFが飛び込む隙を与えない。尚且つ筋肉質であるため、ユニフォームを引っ張るなど故意のファールでも止められず、対戦相手の指揮官から「メッシを止めるにはショットガンが必要だ」とジョークが飛ばされるほどである。

名実ともに世界最高選手として注目されるようになったFIFA ワールドカップ2010では、監督を務める母国の英雄ディエゴ・マラドーナから攻撃の全権を任されるも、戦術の無い個人技頼みのチームで持ち味を出すことができず。準々決勝のドイツ戦では何もさせてもらえず完敗。このあたりからバルセロナのときと比べて代表で輝けないメッシに対するアルゼンチン国民からの批判が強まるようになる。

それだけの価値があるものだったと、試合に訪れた観客の誰もが思った。デル・バッレはクルス・アスルのファンだが、長年のメッシファンでもある。FCバルセロナのホームスタジアムであるカンプ・ノウでのメッシのプレイを観に、一度スペイン・バルセロナまで飛んだこともあった。

観客の興奮がここで沸点に達した。クルス・アスルのファンも一緒になり、マイアミの観客とともに熱烈な拍手を送った。2分後、メッシがフィールド前方で見せた最初のプレイに対する観客の反応は、シーズン後半の試合の終了間際などでしか起こらないような熱狂ぶりだった。

フロリダを拠点とするアスリートのパブリックデビューとして、これ以上の場はないだろう。海辺のリゾート地としての魅力をたっぷり湛えたマイアミだが、それでもフロリダであることに変わりはない。そして、フロリダ人であればPublixには行くものなのだ。どうにも信じがたいことだが、こうしてリオネル・メッシは正式にフロリダ人となったのである。

これまでインテル・マイアミのチケットは、決して人気があるとは言えなかった。よく言って成績は“まあまあ”であり、加えて臨時のスタジアムは市街から離れている。だから、市民はわざわざ足を運ぼうという気にならなかったのだ。それを一変させたのが、メッシが契約したという一報だった。クルス・アスル戦チケットの転売価格は、噂によると数万ドル、中には6桁に及ぶものもあったという。

この状況を見ていると、メッシのこれまでの偉業を思い出さずにはいられない。欧州チャンピオンズリーグでは4度の優勝、ラ・リーガでも10度タイトルを獲得し、世界の年間最優秀選手に贈られるバロンドールを7回受賞しているほか、クラブワールドカップのトロフィを3つ、コパ・デル・レイを7つ、そしてオリンピックでは金メダルを授与されている。

ここで一つ覚えておかなければならないことがある。インテル・マイアミは……弱いのだ。とても弱いチームなのである。メッシが契約書にサインしたとき、チームはMLS イースタン・カンファレンスで最下位だった。それは珍しいことでもない。彼らがデビュー以来、常に留まり続けた順位なのだ。

しかし、記者会見や契約発表、インテル・マイアミのインスタグラム投稿(メッシの加入を機に100万から1200万フォロワーへと一気に増加した)よりも前にメッシの到着を知らしめたのは、スーパーマーケット「Publix」での目撃情報だった。

インテル・マイアミに所属するアルゼンチン代表FWリオネル・メッシが、クラブが主催した記者会見に出席し、アメリカ上陸以降、初めてメディアの取材に応じた。スペイン『マルカ』紙電子版や『アス』紙電子版など、様々なメディアが報じている。

しばらくのあいだチームメイトとゴールを祝ったあと、彼は子どもたちをハグしにサイドラインへと駆けていった。ロスタイムが経過し、試合は終了した。ベッカムは涙を浮かべ、メッシは笑顔を見せた。南フロリダでなされるべきことは山積しているが、リオネル・メッシにはその準備ができているようだ。

グアルディオラ体制最後の年となった2011-12シーズンはクラブタイトルは国王杯のみとなったが、驚異的なペースでゴールを量産し、リーグ戦50得点という前代未聞の記録を打ち立て得点王に輝く。CLでは、3月7日のレバークーゼン戦において大会史上初となる1試合5得点を達成。4シーズン連続で得点王となっている。また、シーズンの公式戦通算得点数は73得点というとてつもない数字を残しており、ゲルト・ミュラーが持っていたシーズン公式戦最多得点記録を塗り替えている。2011年末に日本で開催されたクラブワールドカップでは出っ歯の無礼極まりないインタビューを浴びながらも南米王者サントスFCを子供扱いし、格の違いを見せつけて優勝。何かと比較されたブラジルの新星ネイマールがひたすら守備に追われる中、2ゴールをマークしたメッシは再び大会MVPを受賞した。2012年のバロンドールにも選出され、フランスの"将軍"ミシェル・プラティニの記録を打ち破る前人未踏の4年連続の受賞となった。

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