プーマとアディダス兄弟

スポーツシューズの歴史の中で伝説をつくった「アディダス」と「プーマ」はもともと兄弟が起こし、第1次世界大戦後のドイツ経済の復興と共に成長した企業が基になっている。だが、その後、兄弟は対立し、会社は分裂してしまう。前編では両者が仲たがいする前、共に育てた「ダスラー兄弟商会」の興隆を取り上げる。

兄ルドルフはプーマ(PUMA)を。弟アドルフはアディダス(Adidas)を設立します。

驚くほどよく似た雰囲気を持つふたりだが、性格は水と油。ことあるごとに対立し、1948年には社を解消。アドルフは、彼の愛称アディ(Adi)と苗字のダスラーから「アディダス」を、ルドルフは、彼の名のRuとダスラーのDaをつなげたRuda(やがて軽やかな響きのPuma「プーマ」に改称)を設立することとなった。

ふたりの“敵対関係”は、社内分裂後、ビジネス展開においても表面化。まず、サッカーシューズのスパイクの開発において先んじたというルドルフ率いるプーマ。しかしアドルフは、カメラマンに大金を支払い、プーマよりもアディダスの商品を身に着けたスポーツ選手の写真を撮らせるなどといった策を弄した。

第2次世界大戦直後、兄弟はたもとを分かち「アディダス」と「プーマ」という2つの企業が誕生する。その激しい競争の歴史は、トップアスリートを巻き込んだ激しい競争状態となる。

赤字だった経営も黒字に転換し、アディダスは売上げ高で世界一に返り咲き、プーマも企業としての独立を保ち売上げ三位につけ、世界を代表するブランドとしてしのぎを削り続けています。

スニーカーの定番ブランドにして、直近のデータによると全世界売上げ第一位と第三位の世界的ブランドである「アディダス」と「プーマ」。

このアディダスとプーマの2社は、元はひとつの家族経営企業が2つに分裂したものです。

2社が生まれたきっかけは、アディダスの創業者であるアドルフ・ダスラーとプーマの創業者であるルドルフ・ダスラーの間で起きた兄弟喧嘩です。

ドイツ、ミュンヘンの北に位置するヘルツォーゲンアウラハという村からあるスポーツシューズメーカーの歴史が始まる。1898年、靴職人のクリストフ・ダスラーの子として後にプーマを立ち上げるルドルフ・ダスラーが生まれる。そして1900年、アディダスの創業者となる、弟のアドルフ・ダスラーが誕生する。

今日はアディダスとプーマの分裂と因縁の対決について、5分で理解してもらえるようにまとめてみました。

ダスラー家の元を離れた、アディダスとプーマはその後新たな経営体制のもとで見事に復活。

もちろんプーマも健闘。ともにスポーツ界を支えている。

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