いずれにしてもメッシは一両日中にも去就について決断するとみられる

次に可能性があるのはアメリカのユナイテッド・マイアミ。共同オーナーであるデイビッド・ベッカムはもう何年も前からメッシにラブコールを送り続けている。またチーム名は判明していないが、マイアミの他に複数のMLSのチームがメッシに興味を示しているという。もしアメリカに行ったなら、パリでのようにサポーターにブーイングされることもなく、心穏やかにプレーできるだろう。報酬も悪くないはずだ。ただ彼がまだ代表でプレーを続けたいと思うなら、アメリカ行きは名案ではない。

しかし、メッシがサウジアラビアに行くことには多くの人が批判的だ。そもそも彼が観光大使になったこと自体「人権のない国の片棒を担ぐのか」「キャリアの汚点となった」と非難されている。例えば元オランダ代表のマルコ・ファン・バステンはブラジルのテレビ番組のインタビューで、強い言葉でこう語った。

「もしメッシがサウジに移籍したら、それは何とも貧しい決断だ。これまで多くの金を儲けてきたというのに、まだ自分の情熱ではなく、金で動くのか」

しかも、父親である代理人のホルへさんには契約完了の際に2500万ユーロ(約37億5000万円)のボーナス支給が確約されていた。ところが、メッシはスポーツ選手としては歴史的な超巨額オファーを蹴り、ロナウドやベンゼマの後を追うことなく、マイアミ行きを決めた。

メッシは来年アメリカで開催されるコパ・アメリカ出場を目指しており、そのためにトップレベルはないながらも適切な競争レベルが存在するメジャー・リーグ・サッカー挑戦を選択したようだ。

いずれにしてもメッシは一両日中にも去就について決断するとみられる。古巣バルセロナへ復帰する可能性は財政的な問題から、アルヒラルや米MLSインテル・マイアミに加入する可能性よりも低いもようだ。

最近になって浮上してきているのがプレミアのニューカッスル。今、世界で一番金持ちと言われるチームだ。バックにはメッシと関係の深いサウジアラビアがついている。巷ではネイマールがニューカッスルに移籍するのではとも噂になっているが、ネイマールの友人によると、実はニューカッスルはネイマールとメッシのふたりをそろってほしがっているという。彼らを同時に奪えれば、サウジアラビアにとっては快挙だろう。

古巣バルセロナへの復帰、そしてサウジアラビアからの巨額オファーが話題となり、世界の注目を集めた今夏のメッシの移籍劇。最後には「家族のことも考えて決断した」と語り、アメリカ移住を選択。以前から「最後はアメリカでプレーしたい」と語っており、自身もマイアミに住居を購入していた。

メッシの父親で代理人でもあるホルヘ・メッシ氏はこれまで、息子の将来について「シーズンが終わった時点で決断する」と説明。「アルヒラルから提示された途方もない額のオファーを受け入れた」という一部報道についても否定してきた。

そんなメッシは現在、バルセロナ復帰を希望する様子。一時は復帰の可能性が消滅したとも伝えられていたが、代理人を務めるホルヘ・メッシ氏は5日朝にバルセロナの関係者と会談しており、さらに『Jijantes FC』に対して同選手が古巣に戻りたがっていることを認めていた。

そこですかさず、アルイテハド幹部はパリからロンドンへ渡航し、チェルシーとの延長契約が停滞していたフランス代表MFエンゴロ・カンテ(32)を年俸1億ユーロ(約150億円)で獲得。返す刀で、クリスタルパレス所属のコートジボワール代表FWウィルフレッド・ザハ(30)、そしてマンチェスターC所属のドイツ代表MFイルカイ・ギュンドアン(32)とアルジェリア代表MFリヤド・マフレズ(32)らにもオファーを提示。どうやらメッシ獲得失敗で生じた、莫大な予算で複数のプレミア有名選手を獲得する方針に切り替えたようだ。

アルイテハド側は、最後の最後までメッシの獲得を確信していたというが、それもこの巨額オファーを提示していたのなら無理もない話だった。ところが、まさかの破談となり、2年で1500億円という予算は宙に浮いた。

だが複数の海外メディアがシーズンが終了したここにきて、アルヒラル幹部のパリ入りを報じている。フランスでは「Footmercato」が、メッシ側がアルヒラルからの2シーズン12億ユーロ(約1740億円)のオファーを受け入れたと伝えている。

最終的に元イングランド代表主将ディビッド・ベッカム氏が共同オーナーを務めるMSLインテル・マイアミ移籍を決断したアルゼンチン代表主将リオネル・メッシ(35)。世界中から注目されたパリSG退団後の去就が決定した。

そんなネイマールは、ブラジルメディア『O Globo』のインタビューでメッシとともに過ごしたPSG時代について尋ねられると「色々なことを経験したけど、僕は彼のシーズンが良いものだったと思っているよ。彼はアルゼンチン代表として楽園へ行き、パリでは僕も彼も地獄を経験した。僕らはベストを尽くし、チャンピオンとして歴史に名を刻もうとした。だからこそ、再び一緒にプレーしたんだ。残念ながら成功はしなかったけれどね」と振り返り、不満を口にしている。

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