弟アドルフはアディダス(Adidas)を設立します

同社の監査役会は、「ビョルン・ガルデンがアディダスに戻ってくることをうれしく思います。彼が持つスポーツ用品とフットウェア業界での約30年の経験はアディダスを新しい強い時代に導くでしょう」とコメントした。

スポーツシューズの歴史の中で伝説をつくった「アディダス」と「プーマ」はもともと兄弟が起こし、第1次世界大戦後のドイツ経済の復興と共に成長した企業が基になっている。だが、その後、兄弟は対立し、会社は分裂してしまう。前編では両者が仲たがいする前、共に育てた「ダスラー兄弟商会」の興隆を取り上げる。

ふたりの“敵対関係”は、社内分裂後、ビジネス展開においても表面化。まず、サッカーシューズのスパイクの開発において先んじたというルドルフ率いるプーマ。しかしアドルフは、カメラマンに大金を支払い、プーマよりもアディダスの商品を身に着けたスポーツ選手の写真を撮らせるなどといった策を弄した。

ドイツ、ミュンヘンの北に位置するヘルツォーゲンアウラハという村からあるスポーツシューズメーカーの歴史が始まる。1898年、靴職人のクリストフ・ダスラーの子として後にプーマを立ち上げるルドルフ・ダスラーが生まれる。そして1900年、アディダスの創業者となる、弟のアドルフ・ダスラーが誕生する。

第2次世界大戦直後、兄弟はたもとを分かち「アディダス」と「プーマ」という2つの企業が誕生する。その激しい競争の歴史は、トップアスリートを巻き込んだ激しい競争状態となる。

驚くほどよく似た雰囲気を持つふたりだが、性格は水と油。ことあるごとに対立し、1948年には社を解消。アドルフは、彼の愛称アディ(Adi)と苗字のダスラーから「アディダス」を、ルドルフは、彼の名のRuとダスラーのDaをつなげたRuda(やがて軽やかな響きのPuma「プーマ」に改称)を設立することとなった。

ビョルン・ガルデン新CEOは、デンマークのジュエリーブランド「パンドラ(PANDORA)」や、ドイツのシューズメーカーのダイヒマン(DEICHMANN)、アメリカのフットウェア小売業者ラックルームシューズ(Rack Room Shoes)などで重要なポジションを渡り歩いたほか、サッカーとハンドボールのプロ選手として活動していた経歴も持つ。2013年に「プーマ(PUMA)」のCEOに着任した。アディダスでは1992年から1999年までアパレル・アクセサリー部門の上級副社長を務めており、今回のCEO就任でアディダスに復帰することになる。

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兄ルドルフはプーマ(PUMA)を。弟アドルフはアディダス(Adidas)を設立します。

「アディダス(adidas)」が、新たな最高経営責任者(CEO)に「プーマ(PUMA)」現CEOのビョルン・ガルデン(Bjorn Gulden)が2023年1月1日付で就任すると発表した。現CEOのカスパー・ローステッド(Kasper Rorsted)は11月11日に退任。ガルデンの就任までは最高財務責任者であるハーム・オルマイヤー(Harm Ohlmeyer)が暫定的に同社を率いる。

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