メッシは「(会長とは)契約について話すことすらできなかった

あれから7年後。彼の夢は叶い、7年前に15歳だったアルバレス少年は、アルビセレステ(選ばれた水色と白の意=アルゼンチン代表ユニフォームの愛称)の9番を背負い、メッシのボールを追い、メッシにボールを渡し、そしてメッシと一緒に走り、アルゼンチンのために戦うピッチに立っている。

メッシにそのゴールはどう映っただろう?

新シーズンの開幕戦、トロフェ・デ・シャンピオンのナント戦で先制点をあげ、マンオブザマッチに選出。PSGの4-0の勝利に貢献してクラブで2個目のトロフィーを手にした[138]。10月5日、チャンピオンズリーグのベンフィカ戦でゴールを決め、メッシにとってベンフィカがCL史上最多となる40クラブ目にゴールを決めたチームとなった[139]。2023年2月19日、リール戦では試合終了直前に逆転ゴールとなるフリーキックを決めチームの勝利に貢献した[140]。2月26日、マルセイユとのダービー戦であるル・クラスィクでエムバぺへの2アシストに加えて1ゴールを記録、このゴールでクラブキャリア通算700ゴールを達成した[141]。2月27日、パリで行われたFIFAフットボールアウォーズにて16年連続史上最多16度目のFIFA FIFPro男子ワールドイレブンに選出された[142]。さらに男子最優秀選手賞も受賞し表彰形式が"The Best"になってからは最多タイの2度目[143]、FIFA最優秀選手賞としては史上最多の7度目の受賞となった[144][145]。

ラウンド16のオーストラリア戦。メッシの先制ゴールに続いて、彼自身2試合連続のゴールを決めた。7年間メッシを追いかけ、自身の夢を追いかけたように、オーストラリアのボールを追いかけ、GKへプレッシャーをかけて自分の元へボールを呼び込みそしてゴールにボールを蹴り込んだのだ。

2023年6月7日、インテル・マイアミCFはメッシとの契約合意を発表した[146]。

2018年8月12日、スペールコパでセビージャを2-1で下し、バルセロナのキャプテンになってから初めてタイトルを獲得した。 これによりバルセロナでの自身のタイトル獲得数が33個になり並んでいたイニエスタを抜き単独でチーム歴代最多記録となった。チャンピオンズリーググループステージ第1節PSV戦でハットトリック (直接FK1本を含む) を達成した[83]。10月20日、メッシはセビージャ戦でゴールとアシストをそれぞれ決めていたが26分に右腕から激しく転倒し負傷退場を余儀なくされた。検査の結果、橈骨の骨折と診断され3週間の欠場を余儀なくされた[84]。12月16日、アウェイのレバンテUD戦で2アシストと2018年50ゴール目と同時に自身通算43回目であるハットトリックを決めた。2019年1月13日、リーガ出場435試合目のホームのエイバル戦でリーガ400ゴール目を挙げチームも3-0で勝利した。そしてメッシは欧州5大リーグにおいて1つのリーグだけで400ゴールを決めた最初の選手となった[85][86]。2019年1月17日、国王杯5回戦2ndレグのレバンテ戦でデンベレの2ゴールをアシストし自身もゴールを決めチームの準々決勝進出に貢献した[87]。レバンテ戦で決めたこのゴールは国王杯での通算49ゴール目でありバルセロナにおける国王杯でのゴール数でラディスラオ・クバラと並んで歴代2位に浮上した[88]。1月30日、国王杯準々決勝2ndレグのセビージャ戦では国王杯通算50ゴール目を決めクバラのゴール記録を抜きバルセロナにおける国王杯得点数で歴代単独2位に浮上した[89]。2月2日、リーガのバレンシア戦でチームの2点目をPKで決めた。このPKでのゴールによってクリスティアーノ・ロナウド、ウーゴ・サンチェスに続いてリーガにおいてPKで50ゴールを決めた3人目の選手となった[90]。2月23日、アウェイのセビージャ戦でキャリア通算650ゴールを決めるとともに通算50回目のハットトリックを達成した[91]。3月17日、アウェイのレアル・ベティス戦で相手サポータからの喝采を浴びたループゴールを含むキャリア通算51回目のハットトリックを達成した[92]。4月16日、チャンピオンズリーグ準々決勝2ndレグのマンチェスター・ユナイテッド戦で2ゴールを挙げチームの準決勝進出に貢献した[93]。4月27日、レバンテ戦では途中出場から決勝点となるゴールを挙げその試合での勝利により自身10回目となるリーガ優勝が確定した[94]。2019年5月2日、チャンピオンズリーグ準決勝1stレグのリヴァプール戦でクラブ通算600ゴールとなるFKゴールを含む2ゴールを決めた[95]。しかしその後の2ndレグで4-0の大敗を喫しチャンピオンズリーグで2年連続の逆転負けを味わうこととなった。5月19日、ホームで行われたリーガ最終節となるエイバル戦でチームは2-2のドローに終わったが自身は2ゴールを決めリーガ通算34試合36ゴールの成績でテルモ・サラと並ぶ史上最多6度目のリーガ得点王になり同じく史上最多6度目のピチーチを受賞することが決定した[96]。

2020年12月23日、レアル・バリャドリード戦で決めた得点がクラブ通算644得点目となり、ペレが記録した同一クラブでの世界最多得点記録を更新した[115]。2021年1月17日、スーペルコパ決勝のアスレティック・ビルバオ戦で延長後半アディショナルタイムにボールに関係のないところで相手MFアシエル・ビジャリブレを後ろから殴り倒し、バルセロナで初めて一発レッドで退場処分となった[116]。2月1日、エル・ムンド紙はメッシとバルセロナの間で2017年に結ばれた契約書のコピーの一部を公開し、 4年間の年俸総額が5億5500万ユーロ(約705億円)に上ると報じられた[117]。 1月にバルセロナの負債額が11億7300万ユーロ(約1466億2500万円)に膨れ上がっており、短期的な債務は7億3000万ユーロ(約912億5000万円)に達していることが大きく報じられており[118]、このリークは「バルサを破滅させるメッシの豪勢な契約」の見出しで大々的に報じられた[119]。3月10日、チャンピオンズリーグ・ベスト16のパリ・サンジェルマン戦2ndレグで、欧州CL通算120点目を決め、クリスティーアーノ・ロナウドより1試合少ない149試合目で達成した[120]。しかし、チームは2戦合計2-5で敗れ敗退、クリスティアーノ・ロナウドのユヴェントスもポルトに敗れ、2人が準々決勝で不在となるのは2004-05シーズン以来、16シーズンぶりとなった[121]。

2021年8月10日、パリ・サンジェルマンFCと2年契約(3年目のオプション付き)を締結した[127][128][129]。背番号はバルセロナのトップデビュー時と同じ30番[130]。8月29日、リーグアンのランス戦で後半から交代出場し、PSGデビューを果たした[131]。9月15日、アウェイでのクラブ・ブルージュ戦で先発出場し、チャンピオンズリーグデビューも果たした。その4日後にはリヨン戦でホームであるパルク・デ・プランスでデビューを果たした[132]。9月28日、チャンピオンズリーグのグループステージで、ペップ・グアルディオラ率いるマンチェスターシティ戦でゴールを決め、クラブでの初得点を決めた[133]。11月21日、ナント戦でリーグアン初ゴールを挙げた[134]。11月28日、サンテティエンヌ戦では自身5回目となるアシストハットトリックを達成した[135]。11月29日、クラブと代表合わせて年間40ゴールを挙げ、2021年のコパアメリカでアルゼンチンの優勝に貢献したメッシは史上最多7度目のバロンドールを受賞した[136]。2022年4月23日、第34節のRCランス戦では得点をきめてチームの2年ぶりとなるリーグ優勝に貢献した[137]。

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古くからの友人であるアグエロ氏とメッシ選手の関係から、今回のツーショットが実現したのです。

こうした台所事情があり、2004年に17歳で1軍デビュー後、スペイン1部リーグのラ・リーガを10回優勝、欧州CLも4度制覇し、バルセロナで35回の優勝を達成、6度のバロンドール受賞にも輝いた不世出のスーパー・スターであるメッシを不本意な形で手放すことになった。

サッカー少年誰もが夢見たように、15歳のアルバレスも憧れの選手とプレーすることを夢見ていた。それはリオネル・メッシ。その証拠であるメッシとの記念撮影の写真を彼は自分の夢の証として持ち続けていた。

2020年8月25日、「スアレスに対するフロントの態度など、クラブに対して不信感が増したメッシが、バルセロナに退団の意思を表明するブロファックス[注 8]を送った」と報道され[106][107][108]、間もなくクラブも事実を認めた[109]。このニュースは全世界に衝撃を持って伝えられた。メッシ側は、「2021年6月まで契約が残っているものの、現在の契約には契約解除金が無効となり、フリー移籍できるようになるという条項が含まれており、行使できる期限は過ぎているが、新型コロナウイルスの影響でリーグが中断された時期があったため、まだ有効である」と主張した[107]。これに対して、バルセロナ側は「契約の有効期限は過ぎており、メッシが退団するのには、7億ユーロの契約解除金が払われたときのみ」だと主張し、両者の言い分が食い違った。8月30日、ラ・リーガが声明を発表し「メッシとバルセロナとの契約は現在も有効であり、契約に定められた違約金が支払われない場合は、移籍証明書は発行しない」として、バルセロナ側を支持した[107][110]。メッシは、8月30日に行われた新型コロナウイルス検査を無断欠席し、翌31日の練習にも姿を見せなかった[111]。9月4日、メッシの父で、代理人のホルヘ・メッシは、ラ・リーガの声明に対し、「根拠が不明で、解釈が間違いである」と声明を発表。すぐに、ラ・リーガ側も反論するなど、事態は泥沼化の様相を呈したかと思われたが[112]、その夜、メッシは、「Goal.com」のインタビューで、バルセロナに残留することを発表した[113][114]。インタビューの中メッシは、「1年を通してジョゼップ・マリア・バルトメウ会長に、退団の意思を告げていた」こと、「会長は、シーズン終了後に退団か残留かをメッシ自身が決められると言っていたが、その言葉は守られなかった」こと、「会長に、7億ユーロの契約解除金を払うだけが退団する唯一の方法だと言われた」こと、「移籍する唯一の方法がバルセロナと裁判で戦うことだったが、愛するクラブを相手取って法廷に立つなんて、絶対に考えられない」ことなど、残留を決めた理由、バルセロナへの思いなどを語った[113][114]。9月7日、残留発表後初めて練習場に姿を見せた。

メッシは「(会長とは)契約について話すことすらできなかった。(復帰の)提案はされたが、正式な、書面で署名されたオファーはなかった。まだ何もなく、実現するかどうかも分からなかった」とバルセロナからは正式なオファーがなかったことを明かした。

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