アディダスとナイキ 兄弟

本作の主人公のルディとアディの父、クリストフ・ダスラーは、バイエルン北部のヘルツォーゲンアウラッハで、代々続く織工職人でした。この地は、19世紀末までは、織物工場の町として栄えていましたが、産業革命を境に衰退していきます。クリストフは靴職人に転向し、技術を学んでいる間、妻パウリーナは自宅裏で洗濯屋をして家計を助けていました。ふたりの間にはルディとアディの他に、長男のフリッツ、長女のマリーがいました。

オーエンスが金メダルを獲ったことにより、「オーエンスのせいでドイツが優勝を逃した」と兄弟が懇意にしていた陸上監督から怒りの電報が届きます。五輪後、彼は監督を解任させられてしまうのでした。

ナイキとアデイダスの創始者が兄弟だと聞いたのですが本当の話ですか?

ルディはドイツの陸上選手、ルッツ・ロングとエルフリーデ・カウンにベルリン五輪で自社のシューズを履かせたいと考えますが、アディはアメリカの陸上選手ジェシー・オーエンスに目を付けます。ライバル国であるアメリカの、しかも黒人選手であるということでルディは反対しますが、アディは独断でオーエンスと交渉。結果、ダスラー・スパイクを履いたオーエンスは4つの金メダルを獲得という偉業を成し遂げ、ベルリン五輪のヒーローになりました。

世界最大のスポーツイベント、サッカーW杯。
大手スポーツ用品メーカーにとっても、自らのブランドを世界にアピールする、四年に一度の大事なイベントなのです。
世界のスポーツメーカーの中でも、今回の大会で特にしのぎを削ったのはスポーツブランド大手三社。
それは…アディダス、プーマ、ナイキ!
年間売り上げは三社合計で3兆円と、ダントツのトップ3なのです。

1994年、W杯アメリカ大会をきっかけに、ナイキはサッカーへの本格参入を開始。
そして1996年、ナイキがゲットした世界最大の大物が…ブラジルナショナルチーム。
何と、230億円という破格の契約料!
その後も様々な有力選手との契約を進め、アディダス・プーマが築いたドイツサッカー王国の牙城に迫っています。

別々の道を歩みだした2人。アドルフは自身の相性アディの“adi”と苗字の3文字“das”を組み合わせてadidasを設立。一方のルドルフはPUMA。従業員は自然と二手に分かれることになりました。技術職の多くは職人気質のアドルフにつき、販売職は経営能力にあふれていたルドルフにつくかたちに。

1920年、西ドイツのアドルフ・ダスラーが兄のルドルフ・ダスラーとともに「ダスラー兄弟社」を設立したのが始まり。1948年に解散し、弟アドルフが自分の名前と姓を縮めて命名したadidasを設立。スニーカーではSuperstarやStan Smith、CAMPUSなど数々の名作を世に送りだしている。

この三社の儲かりの歴史は、それぞれとてもユニークなものでした。
アディダスとプーマはドイツ生まれ。
実はこの二社、大昔は「ダスラー兄弟商会」という同じ会社だったのです。
元々は、1920年ドイツ南部の小さな村でダスラー家の長男ルドルフと次男アドルフが設立した運動靴の会社でした。ところが第二次大戦後、会社のことをめぐって二人は大喧嘩!
それぞれが別々の会社を作り、兄がプーマを、弟がアディダスを立ち上げたのです。
ちなみにアディダスとは、アディー(アドルフ)・ダスラーを略したもの。その後二社は、有名サッカー選手たちに自分の会社の靴を履いてもらおうと、専属契約をめぐって争います。
兄のプーマはサッカーの王様ペレと契約すると、弟のアディダスは皇帝ベッケンバウワーといった具合に、常にライバルとして競い合っています。
ドイツでサッカーが盛んなのは、二社の熱いバトルのおかげなのかもしれません。一方、最近急速にサッカービジネスに力を入れているのが、スポーツブランド王者であるアメリカのナイキ。
1964年、フィル・ナイトとビル・バウワーマンが米オレゴン州で設立したブルーリボンスポーツ社がその前身でした。
設立当時の儲けの柱は、何と日本製の運動靴であるオニツカタイガー(現アシックス)の輸入販売だったのだとか!
そんなナイキの得意技は、大物ゲット!
バスケ界の大物選手マイケル・ジョーダンと専属契約して作られたバスケシューズであるエアジョーダンは、とんでもない大ヒットを記録し、会社の急成長のきっかけとなりました。
その他、陸上のカール・ルイス、テニスのアンドレ・アガシ、ゴルフのタイガー・ウッズなど、そのジャンルのトップアスリートと契約し、ブランドイメージを確立してきました。

adidas(アディダス)の「ZX」シリーズの中でも不朽の名作ランニング・ウォーキングシューズと言えるでしょう「ZX750」。元々は1984年に誕生した長距離トレイルランナー向けに開発されたスニーカー。凹凸のあるアウトソールとEVA搭載のミッドソールが衝撃を吸収し履き心地は極めて快適な一足。80年代らしいハイテクなデザインと高い機能性でファンも多いスニーカーがアディダス ZX-750です。

本作では、ルディが共同事業を持ち掛けていますが、実際はアディから誘ったようです。また、兄弟の決裂の原因も諸説ありますが、あくまでも実話をベースとしたドラマとして楽しめる作りになっています。

ガゼルとガッツレーと呼び方が2つあるのは、GAZELLEを英語でガゼルと読み、ドイツ語でガッツレーと呼ぶのだそうです。アディダス ガッツレーは、シンプルできれいめなデザインのトレーニングシューズ。ガッツレーの響きだけだとかなり濃いスニーカーかと思っちゃいますが主張しすぎないデザインがよろしいですね。CAMPUSと人気を二分する存在として販売から50年近く経った今も現在も圧倒的な人気を誇る名作スニーカーです。

1969年に誕生したアディダス スーパースターは、バスケットボールのために開発されたシューズで、NBA選手たちに人気を博しました。ヒップホップの神とも言えるかの有名なRUN-DMCは、このスーパースターをひもナシで愛用していたことからストリートでも人気のスニーカーとなりました。
履き心地がとても良いオールレザーのアッパーと貝殻のようなデザインをしたシェルトゥと呼ばれるつま先の部分が特徴です。

スポーツ・シューズ制作に情熱を注いでいたアディは、世間では「スニーカー狂」と呼ばれ、揶揄されていました。当時、ドイツ国内でのスポーツの地位は低く、スポーツ・シューズの需要はないと思われていたのです。しかし、アディには、一流アスリートが自身の作ったシューズで活躍するヴィジョンが明確に見えていました。ただ、試作を重ねるにもコストがかかります。金策に頭を痛めているアディに、ルディが共同事業を持ち掛けます。アディが作ったシューズをルディが売る、「ダスラー兄弟商会」の誕生です。

ドラマとしてのおもしろさもさることながら、ビジネスや人間関係においての重要な気付きもたくさん得られると思います。現在のスポーツ・ブランドの礎を築いたダスラー兄弟の壮絶な半生をぜひ、スクリーンでご覧ください。

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