試合中に歩いているメッシをよく目にする

メインポジションは右WGだが、これまでメッシを指導してきた監督は、彼をより輝かせるためにはどうすれば良いかを考え、メッシを中心としたフォーメーションを組み立てることが多い。

2011年4月27日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝、レアル・マドリードCFとの第1戦。中盤で一度ボールをブスケツに預け、そのままボールを引き取ったメッシはそのままゴールへ向かって高速ドリブルを開始。あっという間にゴールを奪い、レアルの選手は唖然とした表情を浮かべるしか無かった。

メッシの弱点を挙げるとすると、運動量の少なさであろう。試合中に歩いているメッシをよく目にする。これは、攻撃のためにスタミナをセーブしているとも言われているが、実際にメッシが守備時にプレッシングを続けた場合、攻撃時のクオリティは下がるだろう。だが、メッシは歩いている状況において、スタミナをセーブしているだけではなく、周りをよく観察し、相手の急所を探っているのだろう。

2015年5月6日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝、FCバイエルン・ミュンヘンとの第1戦。ドイツ代表DFジェローム・ボアテングがメッシのアンクルブレイク被害者となったことでも有名なゴール。

前線の中央に配置されたメッシは、あまり前線に留まることはせず、中盤まで降りて元スペイン代表MFシャビ・エルナンデス(現バルセロナ監督)や同MFアンドレス・イニエスタ(現ヴィッセル神戸所属)、スペイン代表MFセルジオ・ブスケツと共に、パス回しに参加する。中盤に降りていくメッシに相手のCBがマークのため釣り出されれば、左右WGに配置された元スペイン代表FWダビド・ビジャや同FWペドロ・ロドリゲス(現SSラツィオ所属)が相手CBが空けた前線のスペースへダイアゴナルに走り込みゴールを狙う。降りていくメッシに相手CBがついて行かなかった場合は、相手の守備的MFの脇でメッシが前を向いてボールを受けることが容易となり、そこからドリブルを仕掛けることが出来る。メッシの動きで周りが連動して動き、そしてメッシがフリーな状態で前を向いて攻撃を仕掛けることこそがこのシステムの真の目的である。

2007年4月18日、スペイン国王杯(コパ・デル・レイ)準決勝ヘタフェCF戦。前半28分の伝説となった5人抜きゴール。右サイドハーフウェーラインからドリブルを開始したメッシはゴールまでの最短距離で相手を抜きまくり、GKもかわして倒れ込みながら右足でシュート。ドリブル開始からゴールまで12秒の出来事だった。

「メッシは僕のプレースタイルにもっと関係している。 私はメッシに似ているし、彼のプレー方法に感謝している」と彼は付け加えた。

18歳のギュレルは、プレースタイルと高いボールコントロール技術がアルゼンチン代表FWリオネル・メッシをほうふつとさせることから、「トルコのメッシ」と評され、将来を有望視される存在。トルコ代表としては、6月のウェールズ戦で代表1号を決めている。

2019年5月1日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝、リバプールFCとの第1戦。メッシのこれまでのフリーキックの中でもNo.1との評価も高い。スピード、コースともに完璧で、ブラジル代表GKアリソン・ベッカーでも指一本触れることが出来なかった。

アーセナルのポルトガル人ミッドフィールダー、ファビオ・ビエイラは、彼のプレースタイルをリオネル・メッシと比較し、クリスティアーノ・ロナウドが彼が成長することを尊敬していた選手であることを認めている.

アルゼンチン代表は、負傷でメッシを欠いたもののイタリア代表に2-0で勝利。27日に行われるスペイン代表戦では、メッシも復帰するようだ。

世界最高の左足の持ち主。高速で相手のバランスの逆を突き続けるドリブル。時には正確、時には力強いシュート。精密で相手の急所を突くパス。相手にプレッシングされても崩されないボディバランス。相手GKに指一本触れさせないフリーキック。どれをとっても一級品だ。それはメッシのプレーを一度でも見たことがあれば一目瞭然である。歴代No.1フットボーラーであることは多くの人が否定することは難しいと言える。

そして、2021年、サッカー界に激震が走った。生涯をバルセロナで過ごすと思われたメッシがバルセロナを退団することとなった。バルセロナの財政状況の悪化により、クラブに留まることが出来なくなったメッシは、8月8日に涙ながらに退団会見を行い、8月10日にPSGと契約。活躍の場をフランスのリーグ・アンに移した。

出身はアルゼンチンのロサリオ州。1995年に、地元のクラブであるニューウェルズ・オールドボーイズに加入。10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(成長ホルモン分泌不全性低身長症)が発覚し、成長ホルモン投与などの治療無しでは身体が発達しないと診断された。1年目は父親のホルヘが働いていた会社の医療保険によって治療費が賄われていたが、2年目の終わりに近づくとアルゼンチン経済の悪化の影響もあり、支払いが打ち切られた。継続的な成長ホルモン投与が難しくなったが、13歳の時にバルセロナの加入テストに合格したことが転機となる。家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束され、2001年2月、メッシは家族と共にバルセロナへ渡り、2001年3月1日、正式契約を結んだ。その後の活躍は言わずもがな。メッシあってのバルセロナと言っても過言ではないプレーを見せ続けた。ラ・リーガ10回、コパ・デル・レイ7回、スーペルコパ8回、UEFAチャンピオンズリーグ4回、UEFAスーパーカップ3回、FIFAクラブワールドカップ3回という多くのタイトルが物語っている。

その反面メッシは小柄で腰も低く、急な方向転換やコンタクトプレーでも体勢が崩れない。ボールを使った練習だけでなく、体格などにも秘密がありそうですね。

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